支笏湖の水が千歳川となって流れ出すアウトレットには山線鉄橋と呼ばれる綺麗な赤い橋があります。明治時代に
イギリスから輸入されたこの橋は最初は空知川に架けられていました。 支笏湖畔に架け替えられてから道路事情が
整備された昭和26になるまで、其の役目を果たし、王子製紙から千歳市へ寄贈されました。平成に入って修復された
赤い橋は長い歴史を偲ばせます。 山線とは、トマコマイから日高方面へ向かう海線軽便鉄道に映る鏡として、
支笏湖方面に走る軽便鉄道は山線と呼ばれていました。 主に王子の荷材を運ぶことから始まった山線だけに
一般客が乗車する場合切符の裏には[人命の危険は保証せず]と書かれていたそうです。
この山線をとりまく景色はどんなものだったのでしょう。
そのひとつに美笛奥にある千歳鉱山があります。美笛川河口から9キロメートルの山麓にgoldの露頭が見つかり昭11年には
400キログラムの金採掘量がありましたが数年で2.5倍、人口200人足らずの村があっという間に3700人を越え
会館、郵便局etcができていきました。美笛川河口までレールを敷き現在、桟橋の跡が残っている美笛河口から
南に船着き場ができて支笏湖温泉山線鉄橋の南に陸揚げされて王子専用鉄道でトマコマイへ運ばれていました。
もうひとつの風景は千歳第一発電所です。一時はオコタンぺ湖に水力発電所を造る話が持ち上がりましたが周囲約5km,
水深は20.5mしかない為立ち消えになりました。現在は自然公園法で特別保護地区に指定されています。一方、支笏湖から
注ぐ千歳川では多くの滝が発見されました。その中にナッソウの滝があります。 此の落差を利用して
明治37年頃、第一発電所の建設が始まっています。冬場コンクリートが固まらず樽前噴か、もあって計画は大幅に遅れました。
工事資材の運搬はやはり山線軽便鉄道が活躍しました。 此の第一発電所は日本最古の産業用水力発電所として
文化遺産となっています。その後、道路整備が進み 昭26年に 山線はその役目を終えました。
僕らが、いそしむ自然豊かな支笏湖には 様々な人々の栄枯盛衰が刻まれています。
こうした風景に溶け込んでrodを振るとき、ひとりひとりに偲ばれる風景があります。
先人が残してくれた支笏湖という風景を 大切にしていきたいですね。
山線を走っていた蒸気機関車.三代目4号機はトマコマイの公園に佇んでいます
一緒に並ぶ客車は大正10年昭和天皇が発電所視察の際に乗車した貴賓車です