2021年01月20日
ブルーヘロンの森.幻の勇払港
以前の記事で昔、勇払川にイトウが生息していた話を書きました。身近にイトウが棲む川があったなんて...
きょうの話はもっと昔の話になります。美々川に美々鹿肉缶詰製造所があった頃の話になります
トマコマイはイワシ漁に依存する小さな町でトマ細と呼ばれ 交通、水路の要所であった勇払、沼ノ端が栄えていました
開拓当時は。舟で勇払川を遡り陸路へ乗り上げて運び千歳川から再度船出するユウフツ越えという
勤勉な北海道人の生活史が残されています。 特産品はオオタカやイヌワシ等の猛禽類とイワシ、
水と森に囲まれた豊富な自然があったことが伺われます。
山線鉄橋の処で書きましたが産業が芽生えた後も物がない生活の中に一縷の幸せを感じ一生懸命生きてきた
民の足取りがあります。
現在、勇払川の河口は安平川河口と呼ばれており深い砂地に覆われています。
地域には沖合の漁に未来を託そうと河口に港を造る夢がありました。王子製紙の給与が≒2円の頃 河口の
切り替えと堤防費用が20万以上。 網元や産業人が次々と資材を投じましたが 一夜にして砂浜に変わる港に
夢破れ内地へ去っていきました。 遂に網元は明治40年には王子の下請け業をしていた中村組に権利を売ります。
長年かけてトマ細の町長らが私財を投じてやっとその先駆けを造りました。
現在私財を投じる役人がいかほどいるでしょうか。
その後国が動き1963年(昭和38年)に開港し世界初の内陸掘込港湾をふくむ大型港となりました。
実に大正初頭から始まり昭和になるまで長い年月を要してとまこまい港ができました。
トマ細がトマコマイと呼ばれるようになって産業が発達するにつれ勇払湿原は開発の波にのまれていきます。
イトウは姿を消し減りゆく野鳥の営巣地を守ろうと奔走する一市民が現れました
演習林の所長らと研究を重ね日本初のバードサンクチュアリとなった乾燥化するウトナイ湖の保護を推進。
ハクチョウやハヤブサ、オジロワシが飛来するウトナイ湖は日本で4番目のラムサール条約登録湿地となりました
平成になると怪我した野鳥や動物が彼の自宅に運び込まれ私財を投じて介抱する姿が報道され
市民の感心を集めるようになっていきました。
36号線の北側に流れていたトキサタマップ川は回収され湿原が広がり水トンボ、ミクリ等が繁茂しています
此処にアオサギのコロニーがあったのですが埋め立ての計画が。裏手には広大なゴルフ場が広がって
います。 此の営巣地を守ろうとする呼びかけに多くの市民から賛同の声が集まり
第三セクターの先陣となっていた港開発が保護地4.25ヘクタールを提供。
其処は楼蘭の森と呼ばれ青いヘロン達は、しばしの安楽を得るようになります
楼蘭の森の由縁は シルクロード王朝の頃 夫が妻にアオサギの飾り羽を送ったところからきています
一市民の一生懸命な姿が市民の関心を集め企業を動かし自然を守ること、人々を癒すことができました
人の生活は便利になりましたが野生生物の環境はどんどん狭められています
勇払川を遡上すると勇振川となり支流丸山川に七条の滝をみることができます。山千鉄橋近くに
最後となった丸山営林署近くではよく栗が採れて別所さんところのよしこちゃんと、キノコとりをしたものでした。
自然が大好きなトマコマイの皆さん これからも此の自然を守っていけたらいいですね
きょうの話はもっと昔の話になります。美々川に美々鹿肉缶詰製造所があった頃の話になります
トマコマイはイワシ漁に依存する小さな町でトマ細と呼ばれ 交通、水路の要所であった勇払、沼ノ端が栄えていました
開拓当時は。舟で勇払川を遡り陸路へ乗り上げて運び千歳川から再度船出するユウフツ越えという
勤勉な北海道人の生活史が残されています。 特産品はオオタカやイヌワシ等の猛禽類とイワシ、
水と森に囲まれた豊富な自然があったことが伺われます。
山線鉄橋の処で書きましたが産業が芽生えた後も物がない生活の中に一縷の幸せを感じ一生懸命生きてきた
民の足取りがあります。
現在、勇払川の河口は安平川河口と呼ばれており深い砂地に覆われています。
地域には沖合の漁に未来を託そうと河口に港を造る夢がありました。王子製紙の給与が≒2円の頃 河口の
切り替えと堤防費用が20万以上。 網元や産業人が次々と資材を投じましたが 一夜にして砂浜に変わる港に
夢破れ内地へ去っていきました。 遂に網元は明治40年には王子の下請け業をしていた中村組に権利を売ります。
長年かけてトマ細の町長らが私財を投じてやっとその先駆けを造りました。
現在私財を投じる役人がいかほどいるでしょうか。
その後国が動き1963年(昭和38年)に開港し世界初の内陸掘込港湾をふくむ大型港となりました。
実に大正初頭から始まり昭和になるまで長い年月を要してとまこまい港ができました。
トマ細がトマコマイと呼ばれるようになって産業が発達するにつれ勇払湿原は開発の波にのまれていきます。
イトウは姿を消し減りゆく野鳥の営巣地を守ろうと奔走する一市民が現れました
演習林の所長らと研究を重ね日本初のバードサンクチュアリとなった乾燥化するウトナイ湖の保護を推進。
ハクチョウやハヤブサ、オジロワシが飛来するウトナイ湖は日本で4番目のラムサール条約登録湿地となりました
平成になると怪我した野鳥や動物が彼の自宅に運び込まれ私財を投じて介抱する姿が報道され
市民の感心を集めるようになっていきました。
36号線の北側に流れていたトキサタマップ川は回収され湿原が広がり水トンボ、ミクリ等が繁茂しています
此処にアオサギのコロニーがあったのですが埋め立ての計画が。裏手には広大なゴルフ場が広がって
います。 此の営巣地を守ろうとする呼びかけに多くの市民から賛同の声が集まり
第三セクターの先陣となっていた港開発が保護地4.25ヘクタールを提供。
其処は楼蘭の森と呼ばれ青いヘロン達は、しばしの安楽を得るようになります
楼蘭の森の由縁は シルクロード王朝の頃 夫が妻にアオサギの飾り羽を送ったところからきています
一市民の一生懸命な姿が市民の関心を集め企業を動かし自然を守ること、人々を癒すことができました
人の生活は便利になりましたが野生生物の環境はどんどん狭められています
勇払川を遡上すると勇振川となり支流丸山川に七条の滝をみることができます。山千鉄橋近くに
最後となった丸山営林署近くではよく栗が採れて別所さんところのよしこちゃんと、キノコとりをしたものでした。
自然が大好きなトマコマイの皆さん これからも此の自然を守っていけたらいいですね
Posted by こるとれーんtone at 17:12
│昔.勇払川のイトウ.支笏湖.日高地方等 の逸話│野鳥