2018年11月23日
浦河にてアルバイトしてます
日高馬のはじまりはウララペッ.ムクチ(浦河~靄が上がる川.向別~静かなる渓間)に馬牧(うままき)ができたのが、
はじまりだそうです、 興味深いのは浦河の語源が差す[靄が上がる川]は日高幌別ではなく開拓の地、元浦川という点。
トマコマイ発祥の中核が湿原の地、勇払であったたことや釧路阿寒への主要地点が質素な町、白糠であったことが知られて
いるように文化の変遷、移行に気付かされます。

さて日高馬の話に戻りますがウララペッでは要所に馬場を設けて交通手段
や農耕馬として飼っていました。うままき廃止後はピットウシ (三石小石の多い処)、シャマニ(様似カワウソの意)へ貸出され
ました。明治5年天皇の巡幸が始まると新冠牧場ができてドサンコ、木曽馬、御崎馬、宮古馬etcが飼われ明治17になると
皇室の馬車馬を飼育するようになります。やがて明治20年サラブレッドに移行していきます。皇室と日高馬の歴史の中に静内の
二十軒道路があります。全長八キロに及ぶ桜並木は近くのヤマザクラを三年かけて移植されたと聞きます。先奥には迎賓施設
となる陵雲閣が在り平成26年には秋篠宮親王殿下が訪れています。その隣りに旧新冠御料牧場事務所が建っていますが
いずれも舶来風の情緒深い味わいがあります。 近郊はエゾフクロウがたびたび姿をみせます。
僕たちが釣りに興じている景色の中には多くの先人の足跡があるんだなぁと思いました。

ps.静内に入植したイナダ家さんの逸話が以前、映画になっていました。地元住民でエキストラされた方もいらっしゃるそうです。
厳しい気候、 先人が開いた大地そして美しい自然の中に 僕らは生かされているんですね。
はじまりだそうです、 興味深いのは浦河の語源が差す[靄が上がる川]は日高幌別ではなく開拓の地、元浦川という点。
トマコマイ発祥の中核が湿原の地、勇払であったたことや釧路阿寒への主要地点が質素な町、白糠であったことが知られて
いるように文化の変遷、移行に気付かされます。

さて日高馬の話に戻りますがウララペッでは要所に馬場を設けて交通手段
や農耕馬として飼っていました。うままき廃止後はピットウシ (三石小石の多い処)、シャマニ(様似カワウソの意)へ貸出され
ました。明治5年天皇の巡幸が始まると新冠牧場ができてドサンコ、木曽馬、御崎馬、宮古馬etcが飼われ明治17になると
皇室の馬車馬を飼育するようになります。やがて明治20年サラブレッドに移行していきます。皇室と日高馬の歴史の中に静内の
二十軒道路があります。全長八キロに及ぶ桜並木は近くのヤマザクラを三年かけて移植されたと聞きます。先奥には迎賓施設
となる陵雲閣が在り平成26年には秋篠宮親王殿下が訪れています。その隣りに旧新冠御料牧場事務所が建っていますが
いずれも舶来風の情緒深い味わいがあります。 近郊はエゾフクロウがたびたび姿をみせます。
僕たちが釣りに興じている景色の中には多くの先人の足跡があるんだなぁと思いました。

ps.静内に入植したイナダ家さんの逸話が以前、映画になっていました。地元住民でエキストラされた方もいらっしゃるそうです。
厳しい気候、 先人が開いた大地そして美しい自然の中に 僕らは生かされているんですね。
Posted by こるとれーんtone at
10:37
│昔.勇払川のイトウ.支笏湖.日高地方等 の逸話
2018年11月18日
荻伏へ旅しました

er.暖冬ですね。真冬には大雪が降るんでしょう。リタイヤ稼業なんでチャリ通してますが目の霞み、難聴やらでバイトに
支障でては困るし。たまたま荻伏の知人が安い車があるしバイトがあるよって...行ってきました。 画像は10月に知人が
出会った遡上アメちゃん、いまはサッパリと言ってました。釣果を交えて聞いた日高開拓のお話しを書きます。
僕らが訪れるフィールドのトレイルをなにも知らないってやっぱしなぁ...って思いまして。トマコマイのアングラーには
知っておいて欲しいと思って書きました。
潮風street国道235沿線、日高の開拓当時と言えばパソコンも携帯もない時代です。昔の人は先人から伝え聞いたこと、
足で歩いて知ったこと、肌で感じたもの、風の息吹き季節感と心交わすこと。そういう感覚がないと生きていけなかった、
こういう感覚が、いまは麻痺しているんでしょうね。

北海道の入植は士族による分量支配から始まっています。予算のない政府は土地だけを与え課税権の徴収を丸投げして
いました。千歳は高知藩、浦河、様似は鹿児島藩 新冠、静内は稲だ家etc開拓団は後に屯でん兵へと移行していきますが
北海道の過酷な自然から離脱、返上が相次ぎます。のちに現在の基盤となった会社、結社にによる入植がはじまります。
帯広の晩成社 月寒の報告社 岩内の起業社 浦河の赤心社etcがそれです。
きっかけとなった開拓の士にこういうエピソードがあります。士は内地でキリスト教信者の増加を危惧していましたが
彼らと接触して話を聞くうちに逆に心酔してしまい一緒に移植してきます。過酷な環境の中、自分の失敗に素直であれ、
人の痛みを知って発言することまごころを持ってことにあたること、目の前にあることから逃げ出すな そして幸せになる事etcを
教理としていました。いまの時代には欠落している部分かもしれませんё_ё
上川は不毛の未開地であり石狩は当時から洪水が多く胆振は火山灰の為、農業の見込みがなかったそうです。そこで選ばれ
たのが雨が少ない日高地方、赤心社は先人が成しえなかった農地をこの地で初めて広げ明治27年には元浦川が流れる荻伏に
工場を建設、醤油、味噌を製造しています。but戦後は農地解放令によって縮小され商店や山林経営をして現在に至っています。
時間がある方は浦河役場の荻伏支所へ寄ってみて下さい。赤心社の苦労が偲ばれる記録年鑑、写真パネルや醤油を造る
道具etc触れることができます。先人の活力があったから我々は近代の暮らしができるんだと思います。
美しい自然、先人の足跡、そして家族や知人の暖かい情に支えられて生きていると思っています。家族、大切にしたいですねё_ё
Posted by こるとれーんtone at
12:04
│昔.勇払川のイトウ.支笏湖.日高地方等 の逸話
2018年11月08日
さよならハイラックス.サーフⅡ
札幌トヨタ苫小牧さん、ア〇チさん、Fさんおふたり、racing.teamのカナ〇さんフジ〇さん
宮野森へ行ったエンジニア黒〇さん車買うならこの人タナ〇さん。お世話になりました。
最終型surfはガソリン車、初回頃はやめに5wクラスのoil交換していたおかげで市街地買い物時は8~9km/ℓ
軽量化してからは、長距離で12~㎞/ℓ 走ってくれました。、流石トヨタ、ee SUVを造って
くれます。買ってから10年たってますが距離は六万キロしか走っていません。






距離が延びなかったのは妻のおかげです.二キロ先の仕事場へに行くのに吹雪の日は歩き夏はチャリンコで通っていました。
家族が離れ僕が倒れて大変な時に、たった一人で総てを支えてくれた妻。気丈な妻が心が折れそうな時、ずっと近くにいて
くれたのは愛犬マップだけでした。そして妻が大切にした想い出のsurfとの別れ、涙ぐんでました。
みんなみんなありがとう...って。
迷惑かけっぱなしな僕は足を鍛える良い機会なのでしばらくチャリンコです!!-_-; さよなら、surf 長い間 ありがとう。
タグ :ハイラックスサーフ
Posted by こるとれーんtone at
17:24
│さよならハイラックス.サーフ