2020年01月29日
洞爺湖内水面 since80,
昨年、支笏湖のヒメマスがブランド化、 商標登録されました。ヒメマス遊漁漁獲量が前年比2・8倍の
15万5450匹と大幅に増えています。 養殖採卵用の親魚の捕獲は5・4倍に増えました。
支笏湖ヒメマスは明治26年に阿寒湖のシリコマベツ川から卵を輸送し孵化したものが源となっています。
放流されたヒメマスは4年後の10 月に孵化場前へ回帰し、現在では国内ヒメマス種苗の拠点となっています。
洞爺湖の内水面漁協に深く関わっていた時期があります!!-_-;
昭和中期からはヒメマスだけでなく様々な鱒をてがけ遊漁による地域振興を試みてきました。
80年代には臨湖実験所でbrown.トラウトetcの放流回帰実験がされ入り江には釣り人が集まり、
冬場ワカサギのさし網にはイトウclassのものが入っていました。
一方湖上生簀ではドナルドソンがトーヤサーモンとして養殖され釣り人にはスチールヘッドが釣れるとして
人気を博していましたが北大臨湖実験所が水質汚濁を主張し論争の末中止されました。
この時の落胆は計り知れませんでした
洞爺湖のヒメマス養殖は 水質が安定している支笏湖とは違い順調にはいきませんでした。
同様に明治26年から孵化放流が開始されましたが4年後に回帰した支笏湖とは違い成功までに≒25年を要しています。
80年代にはピークで5トンの漁獲がありましたが。 以降は減少の一途を辿っています。
原因としては長流川の送水管流入水による酸性化、発電所建設による養殖稚魚の流出、
自然要因環境変化によるプランクトンの減少、etc 紆余曲折がありました。
昭和中期、ヒメマスの「いけす」6基を沖合200メートルに置きますが 8月には水温が24度に達し全滅
昭和54年スチールヘッド・サクラマス・ギンザケetc養殖し、やっと成功するに至ります。
but 個人投資までした13基の「いけす」は区画漁業権の壁に阻まれ 設置わずか1ヶ月後に撤去されてしまいました。
機関による無策はこれだけではありません。残る10基の「いけす」は研究用として残されますが 月浦にある
北大臨湖実験場が「網いけすは汚染産業である」と言いだし..「網いけすは必要」とする道立水産孵化場との意見が対立。
漁民はやっと成功した、いけすを続けたかったというのに ..結果は「網いけす」廃止でした。
こうして釣り人の他に名産としても好評であったトーヤサーモンは惜しまれながら姿を消しました
この頃、臨湖実験場前には巨大化したブラウン.トラウトの群れが回帰し多くの風景写真の中に記録されていました。
現在の洞爺湖はヒメマスに頼らないシビアな局面に立たされ活路を模索中です。
内部からは「いけす」養殖の再開を望む声が多くあがっています。
水質保全については 生簀から漏れるエサは相当数の在来魚やエビワカサギが浄化するという意見が多くあります。
お役所ごとに翻弄され続けたフィールド それが洞爺湖 soです。
あれから漁協の人も変わりました。翻弄された湖は何処へ向かっているんでしょう
自然って ひとつしかないんです
ヒメマスは 少数残留している超小型が10月中旬に岸近くの湖でみられます。サクラマスは河川に遡上する個体が
ありますから 見守ってあげて下さい。ワカサギの産卵期は4 月初旬から5 月上旬 河川への遡上は確認されていません。
Posted by こるとれーんtone at 18:38
│昔.勇払川のイトウ.支笏湖.日高地方等 の逸話